せいかつのきろく2002年 3月 26日から6日まで by Tonbi_ko
Lastmodify : Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 JST (Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 GMT)
Powered by 日記自動化システム「日記分子」Ver1.2 ON hatsukari.zenmai.org 主は光あれ、と仰られ無為なあまりに昼と夜が逆転した。 同居人B子が撃鬱状態....。ぽしごとを休んでぐったりしていたので気晴らしに東急ハンヅへ連れていく。文房具を飼い漁ったり、机の上におく手作り棚の天板をカットしてもらったり大量にロウソクを買ったり。 B子はすっかり元気になったが逆にわしが人混みに酔ってダウソ。タカシマ屋の喫茶店でシフォンケーキのセット(絶品)をおごってもらい、安定剤をわけてもらう。ふいー。 ヨドバカメラでDPE(リバーサル)受取。やっぱり天気の良い昼間の撮影はむずかしーなー。レフ板いちまいあれば違ったんだろうけど。プリントの注文は後日にして、B子の買物(タブレット)につきあう。その後歌舞伎町のゲーセンで遊んだり。ひさしぶりだなー>げーせん。 上海エキスプレスで五目チャーハンと酢豚と五目あんかけ焼きそば。B子とシェア。さすがに一人でこんだけは食べませんよ>疑ってるひと D夫人からのメイルの返事がそっけなかったのは、埼玉のS子さんを先日酔って口説きまくったことが洩れてていたりするからでしょうか(^^; 悲しみ。でも新潟でY子さんが、仙台でM子さんが待ってるので東北旅行はしますよ? ハルシオン0.5mg、ドラール20mg、ロヒ2mgでおやすみなさい。
えんいー
こんなことする義務が俺にあるのか? やっても理解されないんじゃないか? それどころか全く無意味な作業なんじゃないか? といったような激しい鬱的思考と戦いながら、社内ネットワークの引き継ぎ資料を執筆。徹夜。 今日で最後のしゅっしゃ。とはいえ3/20付けで会社都合退職しているので、これは無駄な責任感によるタダ働きである。5ヶ所ほどに資料返却をして、パソコンから過去のデイタをCD-Rにサルベージし、個人情報の入ったアプリケーションをすべて削除。後任者に例の徹夜資料を渡し説明。やはりほとんど理解できていない。まぁ後任といえ、実際の作業はアウトソーシングで某業者が行うのだから構わないといえば構わないのだが。 パッチパネルの操作法まで説明しなければならないような状態はなんとか口八丁手八丁でごまかし、ネットワークの引き継ぎ終了。これ以降問い合わせには答えません。電話してもメイルしても無駄です>某部長。あなたがアウトソーシング先の業者と私との間に直接打ち合わせの機会を持たせてくれなかったのがすべて悪いのであしからず。 まんまと会社から PowerMac8500/132を貰い受け、ot氏と合流してタクシーで帰宅。年度末の月曜の五十日で花見シーズンの靖国通りは大渋滞につき外堀通りを回ったのだが、思ったより安くすんで3300円。 ototen氏とpizzaを食いbeerを飲む。氏の連れであるmm嬢と近所に勤めるLちゃんが来た頃にはあまりの眠気に私は撃沈。次に気づいたのは最後に残った同居人であるb嬢が歌舞伎町の勤め先から帰って来た26時。おみやげのビールをご馳走になり睡眠薬。ハルシオン0.5mg,ロヒプノール2mg,ドラール20mg。ついでにあまってたエバミールも追加。わたしは眠気が来るまでまだこれから一時間はかかるが、b嬢はベゲタミンAであっという間に眠りに落ちてしまった。洗濯が終わっていたので干す。 しばらくは無職につき、タイトルに書いたとおりの生活である。今月頭から始 まった怒濤の雑居生活はmm嬢が新居を見つけたこととmt君が私のストレスを気 づかって来訪を控えてくれたことにより一段落。あとは風俗にお勤めのb嬢のみが同居人である。念のために言っておくが、彼女はただの居候で、決していかがわしい関係ではナイ。 会社をリストラされた躁鬱病の男と不眠で自己愛性人格障害で根なし草の風俗嬢の同居というのも、まるで臥床庵庵主の通う某学校の若い学生さんが書く中央線沿線的オサレ映画な脚本の舞台のようであるなぁ、とひとりごちる。 D夫人に「突然ですが、4/5(Fri)はひまですか?」とメイルを送るも音沙汰なし。
悲しみ。
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