せいかつのきろく

2011年 8月 全部    by Tonbi_ko

Lastmodify : Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 JST (Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 GMT)

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#20110827(Saturday)
Marshmallow.2 : 重傷急性膵炎から生きて帰ってまいりました

27a  概要

去る7月11日深夜、重傷急性膵炎を発症しそのまま救急搬送、国立国際医療研究センターの緊急救命病棟に10日ほど(意識が飛んでいるので厳密には不明)、重傷ハイケア病棟に2週間程入院していました。

退院したのは8月7日。8月いっぱいの入院を覚悟していたのだけれど、思ったより回復力が高く、入院生活で体力が落ちるリスクと病状観察をどうするかを天秤にかけた結果、前者の方が重いと判断されての「未完治退院」でした。

約27日間の診療明細。興味のある方は画面右上のスライドショーボタンをクリック

入院中のあれやこれやは後々追記していこうと思います。

27b  経緯

5月末に椎間板ヘルニアを発症し、休職していたわたしの生活はそれなりに荒んでいた。以前よりの飲酒習慣(晩酌に発泡酒500cc x 2, 缶チューハイなど 500cc x 1)に加え、一日一食に近い食事(もちろんコンビニ依存、量も多め)、各種ストレス、3月に行った健康診断結果(血中中性脂肪値の異常な高さ、若干高めな血糖値やγ-gtpなど)の放置などが重なり体の中はかなりやばいことになっていたのだと思う。

7月11日 21:30頃、コンビニで買ってきた発泡酒を2口か3口飲み、鮭ご飯に手をつけた瞬間に胃のあたりに激痛が走る(ちなみに20時間ぶりくらいの食事だった)。最初は胃潰瘍か何かだと思っていたのだが、次第に耐えられない痛みになり、救急車を覚悟する。しかし3日ほど入浴していなかったので、悶絶しながらシャワーを浴び着替える。

まずは119番ではなく #7119に電話し病状説明。近所の夜間外来として春山外科病院を案内され、いったん病院に電話をしてみるも、「内臓疾患は自信がない」との返事。ここで断られていなければ今頃この世にいなかった可能性が非常に高いだろう。その後119番で救急車を呼び、マンションの階段で救急隊員と合流。

その際のIPフォン通話記録

以降、緊急救命病棟を出るまでの14日ほど記憶なし、もしくは意識混濁のため説明不可能。命が助かる可能性が五分五分以下という状態に加え、ICU症候群が極めて強く出ていたためである。ICUの平均滞在日数は4日程度というから、10日も入っていれば譫妄・幻覚は並大抵ではない。この超心理体験についてはまた後ほど。

27c  重傷度

入院後の状況は下記のようとなる、らしい。とりあえずまわりで動いてくれた人をのぞき自分のことだけを記述。

  • 意識のある状態で7月11日深夜に緊急搬送。
  • 12日、13日はまだ会社に電話を入れ状況を説明したりと正常な行動をとっていたらしい。
  • 13日付の病院の売店のレシートあり。携帯電話充電用の電池を買った形跡があるが自分で買ったのか看護師さんに買ってもらったのか不明。


  • その後に急性膵炎と判定され治療開始。
  • 膵臓の自己消化が進み血糖値のコントロール停止。
  • 腎臓が動作不良に陥いり腹膜内に腹水が溜まり始める。
  • 多臓器不全に陥る。
  • 腹水が下は骨盤から上は両肺圧迫にまで膨れ自力呼吸不可能に陥る。
  • 強制人工呼吸開始(診療明細をみると丸5日間に及ぶ)。
  • 全身透析に踏み切る。この段階で生存可能性が5割を切る。
  • CRP値が50を越えいつまでも低下しないため、治療から撤退が一時検討される。
  • ちなみにCRPは「10で入院、30で生命の危機、40越えるとほとんどの人が残念なことに」と言われており、「50は臨床例としてはまずありえない」らしい。


  • 22日に峠を越えたらしい。
  • 24日に緊急救命から重傷病棟へ。意識の混濁、譫妄、幻覚はあるものの、この日の記憶はあり。尿道バルーンを入れた記憶あり。
  • 緊急救命病棟で装備していたもの:心電図センサー、血中酸素濃度センサー、鼻からの酸素吸入、鼠蹊部にクイントンカテーテル+大量点滴、尿道にバルーン+尿バッグ、腕2ヶ所に点滴(もしくは点滴準備用の針挿入)、両足下腿部に血流維持のためのポンプ。
  • 26日ごろまで意識の混濁がひどく記憶がない。
  • 29日ごろ?から水が飲めるようになる。
  • 31日ごろに体温は微熱程度に戻る。このあたりで理学療法士による嚥下・発音など呼吸器まわりのリハビリ開始。酸素吸入終わり。


  • 8月1日朝に尿道バルーンを外すがクイントンカテーテルはそのまま。このため排尿は尿瓶に。
  • 1日昼より理学療法士付き添いでゼリー食開始。21日ぶりの食事となる。ネット関連に肉声ライブ実施。
  • 2日朝に精神科医によるアルコール依存症診断。依存症ではないが危険飲酒群。断酒の自信があるかどうか確認など。血糖値安定化。
  • 2日昼にクイントンカテーテルを抜く。昼から食事がお粥に変更。体重計測の結果約10kgの減量。
  • 譫妄幻覚がひどかったので、今思い返すとお見舞いに対し支離滅裂な事をいっていた。意識の混濁がとれたのは8月2日ごろからか。


  • 3日朝から軟飯に食事変更。リハビリ開始。看護助手さんの付き添いで院内売店、コインランドリーなど。深夜24時をもって点滴終了。
  • 4日からトイレ自由。退院日程調整。
  • 5日昼にシャワーを浴びる。26日ぶり。
  • 7日退院、以降自宅療養。
  • 22日に予後確認のため胃カメラおよび腹部CT。医師に事前に言われたとおり、眠剤飲みの体にはまったく麻酔効かず。
  • 24日に検査結果確認。膵臓周囲の嚢胞は完全消滅し、膵炎自体の治療はここで終了。

27d  今日のところはこのへんで

すばらしい幻覚と譫妄の世界に関しては勇気がでたらいずれ書きます。確認したいこともあるし。



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Message
●oddmake 
 こんな恐ろしいことになっていたとは…。(2011/08/27 17:50)
●Tonbi_ko 
 健康診断を甘く見てはいけませんねぇ。恐ろしいことです。(2011/08/29 20:19)
●Tonbi_ko 
 7/27くらいまでベッドに拘束されてた事を書いていなかった。(2011/08/30 00:00)
 

以上、1日分でした。


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