せいかつのきろく2004年 8月 2日から1日まで by Tonbi_ko
Lastmodify : Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 JST (Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 GMT)
Powered by 日記自動化システム「日記分子」Ver1.2 ON hatsukari.zenmai.org 12時すぎに B社M氏からの電話で起床。硬い布団で、妙な格好して寝ていたせいか体がいたい……。 覚悟を決めて原稿執筆に取り掛かる。途中、K社T氏から原稿催促のメールが来たので入院の経緯等を伝え、本日19時までに原稿をあげると約束。B社M氏の訪問を受け今回の入院欠勤の後処理などを相談。まぁなんとかメイン職場はクビにならずに済みそうでようやく一安心……。 16時に原稿一本アップ。即メールする。「事情が事情なので内容に注文があれば即連絡ください」と伝えておいたのに、注文が来たのは二本目をアップした19時を過ぎてから……。どうやらメイルを読んでなかった模様……。20時までに書き直すと連絡して急いで入浴やら長期入院に向けた準備を完了。原稿もすぐ書き直して再送し、OKを出してもらう。 病院に戻り時間が遅れると電話の後、タクシーを呼ぶ。荷物がかなり重くなっていたのでこの時点でかなり気分はキレ気味。運ちゃんが車椅子をトランクに収容するのにかなり手間取り、何度もトランクのフタをバタンバタンと繰り返す。その度に腰に走る衝撃。「もうあんたええわ、よその車に乗る」と何度いいかけた事か知れず。 しかしまぁ、我慢してそのタクシで葛西まで移動〜。職安通りから靖国通り、晴海通りを経て病院に向かうが、運ちゃんかなり迷うし……。メータは6500円で止めてもらったのだが、これでカード支払いが不可能に(;´Д`)。病院についてから近くのコンビニに金をおろしに行くが ATMがない(;´Д`)。しかたなくもう一度タクシに乗り込んで別のコンビニで現金入手。払いは 6500円のまままけて貰いました。 病院事務に「20時戻りの予定だが21時になる」「21時の予定だがタクシが道に迷っているので21時半すぎる」と伝えておいたのに、ナースセンタに伝わっていなかった模様……。「ちゃんと連絡ください!」とか怒られてもねぇ……。あとで病院事務と電話で言い争いしてましたが>看護婦
とりあえず寝るよ〜。翌日に続く。
もう病院生活にも慣れて来たのだが、今日はなんとしても家に帰らないといけない。クルマを持っている友人に連絡を取ろうとするが、The Internet普及以前からの友人AとBは以前ドライブ中の事故の保険処理などで互いに揉めたという事件があったので、やはり入院患者を運んでくれとは言いにくい。となると Tne Internetで知り合った人間になるので、郊外に住んでいる何人かに連絡を取ってみるがなかなかクルマ所有者がいない……。先日飲みに行った J氏はガス代がなくて動けないそうである。んが、J氏の近くに住む B氏が今日新宿でオフ会とのことで、ドライブがてらにガス代を立て替えてくれる事になり J氏の送迎を受けられる事になった。両者に感謝。ねぇねぇから「一時帰宅準備手伝いに行こうか?」と電話が来て感涙するが、今回は見送り。 為念で看護婦が当直の医師に外出許可について聞いてくれたのだが……。 「一人で大丈夫ですか? 車椅子生活はもう随分長いんですか?」 お前……カルテ読んでないだろ……。 16時ごろ J氏 B氏到着。しばし歓談の後、晴海通りを新宿へ向かう。30日が月末最終営業日で五十日だったせいか、道路は非常に空いており、ものの40分もかからずに新宿まで到着。B氏を新宿南口で降ろして、J氏に自宅までつきあってもらう。荷物まで運んでくれてありがと〜。 とりあえず食料と飲料の買い出しに車椅子でコンビニへ。うう、やはり日本の道路事情、特に東京は車椅子で移動できるモンじゃない……。やたらに細い凸凹だらけの道路、多い坂道が行く手を阻む。しかたなく車椅子を乳母車がわりにして移動。 食事も取って、さて入院準備と原稿書き、と思ったが、なんだかとても悲しくなってしまい、koronしたくなる。というかしばらくIRCで会話して、バッテリの飛んでいたモバイルギアを再セットアップしてしたあとお布団で koronする。ぐぅ……。
翌日に続く。
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