▼15a
うが
風邪ではないと思うのだが、体調悪スギ。朝ごはんを食べたあと 30分ぐらい横になっていたら何とか収まってきたが、予定より一時間ぐらい遅れで行動開始。
で、夜は夜で、社の仮眠所で休んでいたら、30分くらいで 5本立ての夢見たり、金縛り二連発だったりしてかなり駄目。目覚ましで起きたタイミングも睡眠リズム的に最悪だったらしく、しばらくの間全身脱力。
▼15b
というわけで、とっとと帰ることにする@21:00
実は今月の家賃をまだ払っていなかったので、大家さんのところに払いに行ったり。
酒屋+居酒屋を営んでおられる(すぐ近所に大きなスタジオがある関係で結構繁盛しているらしい)ので、夜23:00ごろまでは平気なのだ。3月分の支払日ももうすぐという時期なので、気前よく 2ヶ月分(15万円)支払っておく。金がなくて支払が滞ってるのはなく、忙しいからなのだよ、というアッピール(笑
ついでに先日からお願いしていた電気容量アップ工事に向けた下調べを早くしてくれ、とせっついておく。や、まじで今時 20Aは勘弁ですよ? 電子レンジとエアコン同時に使えなさスギ。
■15c
そんな日も、今日の日露戦争
海外派兵前の集団は、最初から第n軍に割り当てられていても、自由に他の軍に移籍させられることが判明(^^; というわけで旅順攻略のために動員済だった第六師団を第三軍に編入させれば、大孤山にはシベリア第二軍団が接近するずっと前に二個師団の派兵が可能なのだったのだ。
というわけで、予定より古いセーブデータから再スタート。むぅ、このセーブデータだと旅順港にまだ露軍の戦艦が三隻残ってるなぁ。ウラジオにも一隻いるし。露軍の情報収集能力はかなり凄くて(笑)、哨戒部隊のいない海域にばかり艦隊を送り込んできたり、艦隊を解散させてドッグに入れている時に限って出動してきたりしてかなり鬱陶しいのだ。
とはいえ、さすがに佐世保の第一艦隊が全艦健在であるため、哨戒活動さえ手を抜かなければ旅順から出てくることはないみたいだ。よしよし。誘い出して殲滅する、という選択肢もあるのだが、一艦でも取り逃すと航路が荒らされ、陸軍の運送が途切れてしまう危険があるのだ。
陸上でも前進が続く。二個師団での上陸を成功させた第四軍は分水嶺までやすやすと進軍。第一軍も鳳凰城まで進軍……といったあたりで、ロシヤの本格的な反攻作戦が始まる。機関銃部隊で勝る日本軍も、圧倒的な数の騎兵と野砲を揃えはじめたロシヤにはかなわずじりじりと後退。
あ、平壌取られた。第四軍も海に追い落とされてるんですが。あれ? 旅順攻略のために第三軍が普蘭店を出た途端に、得利寺のロシヤ軍動きはじめた。……普蘭店守備隊撤退。
……。 …………。
結果:日本大敗北
1905年を迎えても遼陽を落とせない日本。ロシヤ有利と見た清王朝はついに露清同盟を締結。勝ち馬に乗ろうとする独仏伊は相次いでロシア支援を開始。日英同盟による対露参戦義務を嫌がるイギリスが講和会議を提案してきましたよ?
結局、スウェーデン王国の仲介でストックホルム講和会議が開かれ、講和に。講和条件は朝鮮満州に置ける全権益の放棄、千島の割譲、12億円の賠償金、さらには函館、長崎の租借。
……鬱だ氏のう。
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