せいかつのきろく

2004年 7月 末日から21日まで    by Tonbi_ko

Lastmodify : Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 JST (Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 GMT)

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#20040731(Saturday)
ヘルニア日記 No.3 「安静」(2004/08/06記)

カチャカチャとスプーンが食器に触れる音を聞きながら目を覚ます。いつのまにか食事が運ばれて来ていたので食べる。しかし久しぶりに食べる「ちゃんとした食事」が病院食とは……。

毎食後の痛み止めにブレシン25mg、筋肉をほぐすためにミオナール50mg、胃粘膜保護のためにセルベックス50mgを処方される。あとは非常用にボルタレン座剤50mg。一日一度ノイロトロピン点滴。

入院後まる一日たってようやく MRIの検査結果を含めた医師の診断・説明を受ける。自分は一部誤解していたのだが、現在の西洋医学での椎間板ヘルニアの治療は「脚の筋力低下や感覚麻痺、排尿障害がなければ安静にして寝ているだけ」だそうである。2週間ほど入院して、マクロファージやら何やらが背骨から飛び出した膠原組織を異物と認識して食べてくれるのを待つそうだ。

31b  腰サポーター

緩い。これでは役にたたないので、一つ小さなサイズのものに変えて貰うようにお願いするが「新しいのを卸す事になるのでお金が掛かりますよ」との事。勝手にサイズ決めた癖に……。値段を聞くと 3750円。「今のでも大丈夫ですよ、充分締められてますよ」とも言われたので交換は断念。後日この値段がボッタクリである事を知ることになるのだが……。

31c  院内移動

二足歩行がほぼ不可能なので車椅子を貸してもらう。運転はすぐに慣れることができ、ドリフト走行までできるようになった(するな)。とりあえずは談話室に移動。友人知人に電話をいれようとするが、そこにある電話機は ICカードテレカか小銭でないと使えない……。クレジットカード不可なのである。

1Fまで移動してカード購入。退屈なのでなにか雑誌くらいないかと待合室をうろつくが何もない。もう一度談話室に戻り、友人知人に入院報告。しかし電話機は1台しかないのであまり話せず。ううう。

31d  脱走

入院した以上、これはやらないといけない。というか院内に売店がないのでタバコが手に入らないのだ。救急患者が履いって来た隙に緊急出口から脱出。車椅子に病衣の情けない格好で道路を渡りコンビニへ。とりあえずタバコ一箱購入。

31e  情報収集

ロールプレイング・ゲームでは酒場が基本だが、病院では喫煙室がそれにあたる。

やはり長期入院で退屈しているじいさんやおっさんがそこそこいるのでいろいろ話してみるが、この病院の評判はかなり悪そげ。しかも私の主治医の Aの評判はその中でもかなり悪い事が判明……。パソコンマニアのおっさんなどいたりして、話はそこそこはずむ。やはり事故入院患者には土建業関連の人が多く、しかも事務所の経営者だったりするので、月末は書類処理のために一時帰宅しないと……というあたり私と同じ状況だったり。

そう、身寄りのない自営業の私としては、入院準備もさることながら月末なので請求書を用意したり原稿の〆切があったりでなんとしても一日外泊しないといけないのである。看護婦や医者にそう説明してなんとか外泊許可を貰うが「何があっても知りませんよ」「自己責任でお願いしますよ」と釘を刺される。そんなにひどいのか……というより責任逃れの部分が多いのだろうな。

なかなか寝つけない。眠剤をすこし多めに飲んだらなんだか「深夜の病院」を彷徨いたくなり車椅子であちこち移動。

……。気がついたら 1Fの廊下で車椅子のまま寝てました orz。以降、持参していた精神科の薬も病院に管理される事になるのだが、それが大きな転換点を呼び覚ますとは、この時はまったく想像もしなかったのである。

翌日に続く。



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#20040730(Friday)
ヘルニア日記 No.2 「限界」(2004/08/06記)

仕事の最中、何度 Give up を訴えて救急車を呼ぼうとした事かわからない。しかしフリーランス契約な自営業として、職務は最後まで全うしないと……との思いでなんとか定時まで勤務。あとを相方に任せて、社ビル 1Fのロビーにたどり着いた段階で救急車を呼ぶ決意を決める。

救急車が来るが、自分が「どこそこに居ます」といった「どこそこ」までたどり着く事ができなかったため(ほんの50mも離れていないのに)、発見されるまでそこそこ時間がかかってしまう。人目もはばからずに大声をだして手をふり、なんとか見つけてもらい車内収容。とはいえ横になると激痛が走るので、ストレッチャーに腰をかけ、右足をだらんと垂らした状態で救急隊員と話をつける。バイタルをとるが脈拍も体温もかなり上昇している……。

一番近くの病院は差額ベッド1万5000円との話だったため断る。二番目に近い病院は3150円とのことだったので、とりあえずそこへ運んでもらう事に。このあたりから痛みのあまり記憶が一部曖昧である。

30b  病院収容

とりあえず緊急処置室で血液検査・バイタルサインチェックなどをしてもらい、なにはともあれレントゲンを撮る事に。しかし横になれない状態なのでストレッチャーから撮影台への移動も看護婦やら技士やらにつっ転がされるようにしてである。はっきりいうが、この時の無茶な扱いで痛みは倍増。いい加減にせい。

レントゲン写真を見せられて入院するように勧められる。自分としては痛みがとれるまで処置室で寝かせて貰えればいい、と思っていたのだが処置室は狭く、後続の救急患者も来ているため入院承諾。よくわからないバックヤードに移動させられてノイロトロピンの点滴とボルタレン座剤を施してもらう。しかしなんで胸部レントゲンまで撮る必要があるのだろうか。レセプトの点数稼ぎですか?

30c  気分

痛みもさることながら仕事への不安(請負なのでクビは飛びやすいのだ)やら、考えるにつけ涙がぼろぼろとこぼれて来る。10時にならないと病室が空かないとの事で40分ほどここで待たされただろうか。

30d  入院開始

ようやく病室が空いたとの事で、ストレッチャーから病室用ベッド(可動式なのだ)へ載せ替えられる。このときもレントゲン撮影時同様の扱いで痛み三倍増。そして遂に気絶。看護婦さんの「ゆっくり呼吸して!」の叫び声で意識が戻るが、全身が不随意に痙攣している状態。とりあえず病室に入れられ、MRIを撮る事になったのだが待たされる事 6時間。「生死の境をさまよってる患者さんもいるんですから……」と諭されるが、その間は点滴のみで、医師の診察はとりあえず脚の筋力低下が起きていないかのチェックのみ。大いに不満だが俎の鯉状態なのでどうしようもない。とりあえず入院用の囚人服のような病衣に着替させられる。

とりあえず仕事関係者に現状報告の電話。何ヶ所かけたことか……。

実は7年ほど前にも椎間板ヘルニア様の症状があったのだが、その頃はまだ暢気な学生フリーライターだったので、近所の接骨院で手軽に治してもらったのである。その時には腰をサポーターで固定され数日で社会復帰したのだが、ここではサポーターも出してくれないのでこちらから要求。ひどく簡単な構造のサポーターをつけてもらう。

17時近くになってようやく MRIに呼ばれる。この時は痛みもピーク時に比べればかなり治まっており、診察台への移動も横に転がるだけでなんとかなった。耳栓を嵌められ、緊急用のコールボタンを持たされ撮影開始。撮影時の音は耳栓をしていてもかなり大きかったが耐えられないほどではない。10分もかからずに撮影終了。

この夜は他には処置なし。動けないので小用は尿瓶で済ませ、夕食を食べて早々に寝てしまった。

翌日に続く。



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#20040729(Thursday)
ヘルニア日記No.1 「発端」(2004/08/06記)

29a  夕方

眠剤を飲まずに寝てしまって悪夢を見る。

知人の女子の人が自殺未遂を起こして入院させられてしまうのだが、その父親が駄目な人で「こいつは世のためにならん人間だから一生閉鎖病棟につっこんでおく」といって話にならない。友人一同、なんとか救出しようとあの手この手を尽くすのだがどうにもならない、という夢。

ねぇねぇからの電話で目が醒める。しばし雑談の後、今夜は夜勤なので出勤準備にシャワー。そして着替えようとスーツのづぼんを履くために屈んだ瞬間。

びきっ。

腰から右足にかけて激痛と痺れが走る。しばし悶絶するがなんとか仕事に行こうと決意。駅まで自転車に乗っている間はそう痛みもなかったのだが、電車待ちの間や乗り換えの移動時にはげしく痛む。体を屈めたままよろよろと歩いている状態。

29b  ニセ

立っていると辛い……。なんとか椅子に座り仕事を開始するが、椅子から立ち上がれない。とりあえず端末一台で接続マシンを切り替えまくって仕事のほとんどは自分でこなせたが、立ち仕事は相方にすべて任せる形。

休み時間に休憩室で悶絶。人が誰もいなければ、もっと楽な格好をして、うめき声やらなんやらも上げられたのだが、こういう時に限って人の出入りが絶えない。ほとんど休憩した気になれない……。

29c  トイレなど

……できない。何しろ二足直立した状態で静止することがほぼ不可能なのだ。小用のために便器に向かっていても、ものの10秒もたたないうちに右足に激しい痙攣と痛みが走って倒れそうになってしまう。5分ほど粘ったが、腰回りの筋肉の緊張がすごいせいか結局出せずに仕事に戻る。

翌日に続く。



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#20040722(Thursday)
寂しいなら口笛吹いて、ステップ踏めよ 3,2,1, zero!

22a  前夜〜

何だかむしゃくしゃしていたので、ひさしぶりにワインとか一本開けてみたり。暑いし。

あっちゃんからお電話が来たのでいろいろと長電話してみたり。まぁお互い大変ですが、今度中野であそびましょ〜ね。

22b  しかし

ど〜も飲みすぎた+眠剤のアレで、かなり不自然な格好で床で寝てたよ……@04:00

22c  ニセ

かなりだるだるなのでシャワーも浴びずにしゅっきん時間ぎりぎりまで寝てたり;。まぁ今日はかなり気温低めなのでいいか、ってここ数日が暑すぎただけかもですが。

朝食はゼリー食を職場のきうけい室でごくごく。ぽ昼はもすばーがでスパイシーモス。

22d  きたく〜

とりあえず直しに出してたスーツを回収。もちろん「作業服修繕代」で領収書ですよ?

あとはK社T氏から来た資料を諸々調べて、来月号の打ち合わせをメイルでごにょごにょ。今回はなんとかスムースに原稿を上げたいものだ orz。

22e  神田くん確保!

さて、先日から脱走してた神田くんですが、今日17:00ごろようやく捕縛〜。隠れ家となっていたサーバマシンのあたりに餌トラップをしかけていたら、ノコノコと出てきたので素手でげっと。キィキィ鳴いて噛みつかれました(TT。ごめんねぇ。

22f  お電話でおねえさめに勧められて

半身浴にちゃれんじ。先日の首の筋違えと今朝の変な寝相でどうも肩こりと偏頭痛がヒドかったので体をあっためてみましたよ! なかなかよさげですな。



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 ●ぼんきょう 神田くんのためにもよかた。(2004/07/30 06:13)
 

以上、4日分でした。


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