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@#20040805(Thursday)
ヘルニア日記 No.8 「ボッタクらないの、サイコー」(2004/08/06記)
近所の外科医院へ MRI写真と紹介状を持って行ってみるりり。
待ち時間ほんの10分ほどで呼ばれて診察〜。
「その腰サポーター、サイズ合ってないねー、あれ、これ以上きつく締められない構造なの?」 < はい、その通りで……。
「とりあえず松葉杖はダメ、あれ腰に負担かかるからね」 < 入院してた所では「すぐに言われても貸せない」だけだったのに……。
「うちの院長が専門だから明日早めに来てよ、その時ちゃんと診ようね」 < ありがとうございます……。
ちなみに、入院していた所で買わされたのよりも遙かに高機能なサポーターを処方してもらいました。初診料診察料サポーター代コミで 1780円。サイズ違いの駄目サポーターで 3750円取ってたあの病院はいったい……。
「来院者への約束」としてかなり素晴らしい文章が壁に貼られているのである。うろ覚えではあるがこんな感じ。
「これまでの医療では、必ずしも患者と医療機関の関係は対等ではありませんでした……近年では大きくそれが変わりつつあります……患者は医療機関から充分な説明を受け、処置を受ける権利とともに拒否する権利もあります……患者はいつなんどきでも医師の変更、別医院への転院を要求する権利があります……」
(☆゜-^)(☆゜-^)(☆゜-^)(☆゜-^)。この病院だいすきー。
某オフに参上〜。しかしまだ歩くのはキツかったようだ……。大手町駅を彷徨うワタシは砂漠に突然置き去りにされたペンギンのようだった……。
しかし mumumu氏や masui氏にようやく会えたし、ぁゃさんにも会えたししやわせ〜。しかし技評の編集さんやIPTの社員さんも来てるんだったら名刺印刷して行くべきだった……ってか腰がいたくてプリンタに手が届かなかったんですけどね(;´Д`)。
ちなみに二次会会場に移動中にあまりの痛みでダウン(;´Д`)。路上で会場決まるのまってからタクシで追い付きました(;´Д`)。まみ姉さまお手数かけました(;´Д`)。
pudding (2004/08/07 07:02)
Tonbi_ (2004/08/07 07:26)
Tonbi_ (2004/08/07 07:28)
pudding (2004/08/07 10:21)
ぼんきょう (2004/08/08 22:59)
@#20040804(Wednesday)
ヘルニア日記 No.7 「いい病院どこか、たのむ」(2004/08/06記)
早起きしてさっそく退院準備。ってか10日は入院できる準備してきたんですがねえ。無駄でしたか。
朝食はパン2切れとホウレンソウのおひたし、味噌汁とよくわからない肉料理ちょっと。これで 780円ですよ。ええ。
事務のねーちゃんから伝票を貰い、内容のチェック。料金には間違いないね。でもさ。身寄りがないって言ってるのにさ
退院後の生活指導:「日常生活は要介護」って……
(;´Д`)……。その診断で「早く退院すれ」な態度ですか……。
入退院受付で支払い。とりあえず現金はないが、9月イッピに売上げが30万入るのでカードで支払い。2回払いはできないようで、一括になりましたけどね。
12時退院なのでしばらく喫煙室でだらだら。通院してるばーさんと話してたら、ばーさんも形整外科なのだが、わしの主治医Aが担当の日は避けて通院しているとのこと。
(;´Д`)……。ソウダネ。
12時になったので看護婦に玄関まで荷物を運んでもらい、喫煙室のじぃさんに教えてもらったタクシー会社に電話して送迎を頼む。運転手に荷物を運んでもらい、木場から首都高で新宿に向かう。
「うちもねぇ、この病院から退院する患者さんよく運ぶんですけどね、いい話は全く聞かないですねぇ……」
「あのね、この病院の本院のほうは土地も建物も借り物らしくてね、ようやく一昨年だかに全部自前のこの病院建てたばっかなのよ」
「院長先生はほら、脳の治療で有名でしょ、だから他の科は総合病院に仕立てるために寄せ集めの医者ばっからしいしね……」
(;´Д`)……ヤッパリ。
運転手に家まで荷物を運んでもらい、ようやく落ち着く。MRIの写真はコピーをもらっていたのでねぇねぇにメールしたり IRCで公開してみたり。元ナースの A嬢には「これ、神経ぶったぎれてない?」と笑われますた(;´Д`)。
で、とりあえずこの日につけた日記が以下のものである。
まだ一週間は自宅療養。あんまり歩けません。
精神的にもまったく落ち着いていないので、レポートは後日。写真だけのっけときますね。
退院したばっかりだけどいきなり明日の某オフに出席表明(ヒ
だって「退院したの? じゃオフ来れるね」っていったの masuiさんだしさぁ(ヒヒ。masuiさんに加え Aさんも上京なので会ってみたかったしねぃ。
というわけで、明日は早めに近所の病院行こうと決めて就寝……。
four as bota (2004/08/05 22:22)
Tonbi_ (2004/08/07 00:14)
@#20040803(Tuesday)
ヘルニア日記 No.6 「大転換」(2004/08/06記)
かなり早めに起床〜。モバイルギアでメールチェックや IRCしながら、この機会に読破しようと持参して来た Thomas Pynchonの "Gravity's Rainbow"を読みはじめる。
朝食が来たので食事〜。って、以前取り上げられて病院から処方されるようになった精神科の薬が処方ミスですよ? とりあえず看護婦に、処方ミスがあること、処方箋上「朝食後」になっているワイパックスとリボトリールは実際は頓服なのでこちらに戻してほしい、と訴えた所、突然主治医登場。
「うちは精神科はないのでわかりません」 < いや、わからなくて全然いいんですが。
「精神科もある大きな病院に転院しますか?」 < は? なんでいきなりそうなるかな?
(;´Д`)……。ひょっとして差別ですか?
入院費用の問題もあるので、病院常駐のソーシャルワーカ T氏に上記の件を含め相談。懇切丁寧に話を聞いてくださってありがとうございました。
したらば、看護婦に呼ばれナースセンタでもう一度医師の説明を受ける事に。ええ、病気の説明はいいんですがね……。なんで「2週間は要入院」といってたのが
「明日明後日にでも退院していいので、18時までにいつ出るか決めてください」になるかな……。
……。
とりあえずIRCや電話で友人知人に相談。やはりどう考えてもヤブ医者であるので早く出た方がいい、「出て行け」みたく言われたのは却って好都合じゃん、と結論。こうなればあとはお金の問題である。早速事務にこれまでの入院費用と、これから先一日いくら入院費用がかかるか計算してもらう。結果は「明日の夜までで約9万円、今後は一日1万円くらい」との事。
(;´Д`)……。
ベッドで寝て痛み止め飲んでるだけで一日一万ですか……。
しかもこの病院、入浴するのだけでも 500円取られるし……。
診察は一日一度、脚の筋力と感覚のチェックだけだし……。
「じゃぁ明日の夕食食ったら退院する」と決定。食事は3食セットでいくらだからねぇ。「一時帰宅した日、朝食のオカユだけで780円取られたよ!」って憤慨してる人も喫煙室にいたからねえ……。
看護婦がもう一度退院時間の確認に来る。「明日の夜出る予定だ」というと差額ベッド代は12時〆なので朝退院して欲しいとのこと。
(;´Д`)……。
よくわかんないけど早く出て欲しいのね。
これ以上あたしからは検査費用とれないしね。
翌日に続く。
@#20040802(Monday)
ヘルニア日記 No.5 「再準備」(2004/08/06記)
12時すぎに B社M氏からの電話で起床。硬い布団で、妙な格好して寝ていたせいか体がいたい……。
覚悟を決めて原稿執筆に取り掛かる。途中、K社T氏から原稿催促のメールが来たので入院の経緯等を伝え、本日19時までに原稿をあげると約束。B社M氏の訪問を受け今回の入院欠勤の後処理などを相談。まぁなんとかメイン職場はクビにならずに済みそうでようやく一安心……。
16時に原稿一本アップ。即メールする。「事情が事情なので内容に注文があれば即連絡ください」と伝えておいたのに、注文が来たのは二本目をアップした19時を過ぎてから……。どうやらメイルを読んでなかった模様……。20時までに書き直すと連絡して急いで入浴やら長期入院に向けた準備を完了。原稿もすぐ書き直して再送し、OKを出してもらう。
病院に戻り時間が遅れると電話の後、タクシーを呼ぶ。荷物がかなり重くなっていたのでこの時点でかなり気分はキレ気味。運ちゃんが車椅子をトランクに収容するのにかなり手間取り、何度もトランクのフタをバタンバタンと繰り返す。その度に腰に走る衝撃。「もうあんたええわ、よその車に乗る」と何度いいかけた事か知れず。
しかしまぁ、我慢してそのタクシで葛西まで移動〜。職安通りから靖国通り、晴海通りを経て病院に向かうが、運ちゃんかなり迷うし……。メータは6500円で止めてもらったのだが、これでカード支払いが不可能に(;´Д`)。病院についてから近くのコンビニに金をおろしに行くが ATMがない(;´Д`)。しかたなくもう一度タクシに乗り込んで別のコンビニで現金入手。払いは 6500円のまままけて貰いました。
病院事務に「20時戻りの予定だが21時になる」「21時の予定だがタクシが道に迷っているので21時半すぎる」と伝えておいたのに、ナースセンタに伝わっていなかった模様……。「ちゃんと連絡ください!」とか怒られてもねぇ……。あとで病院事務と電話で言い争いしてましたが>看護婦
とりあえず寝るよ〜。翌日に続く。
@#20040801(Sunday)
ヘルニア日記 No.4 「外泊」(2004/08/06記)
もう病院生活にも慣れて来たのだが、今日はなんとしても家に帰らないといけない。クルマを持っている友人に連絡を取ろうとするが、The Internet普及以前からの友人AとBは以前ドライブ中の事故の保険処理などで互いに揉めたという事件があったので、やはり入院患者を運んでくれとは言いにくい。となると Tne Internetで知り合った人間になるので、郊外に住んでいる何人かに連絡を取ってみるがなかなかクルマ所有者がいない……。先日飲みに行った J氏はガス代がなくて動けないそうである。んが、J氏の近くに住む B氏が今日新宿でオフ会とのことで、ドライブがてらにガス代を立て替えてくれる事になり J氏の送迎を受けられる事になった。両者に感謝。ねぇねぇから「一時帰宅準備手伝いに行こうか?」と電話が来て感涙するが、今回は見送り。
為念で看護婦が当直の医師に外出許可について聞いてくれたのだが……。
「一人で大丈夫ですか? 車椅子生活はもう随分長いんですか?」
お前……カルテ読んでないだろ……。
16時ごろ J氏 B氏到着。しばし歓談の後、晴海通りを新宿へ向かう。30日が月末最終営業日で五十日だったせいか、道路は非常に空いており、ものの40分もかからずに新宿まで到着。B氏を新宿南口で降ろして、J氏に自宅までつきあってもらう。荷物まで運んでくれてありがと〜。
とりあえず食料と飲料の買い出しに車椅子でコンビニへ。うう、やはり日本の道路事情、特に東京は車椅子で移動できるモンじゃない……。やたらに細い凸凹だらけの道路、多い坂道が行く手を阻む。しかたなく車椅子を乳母車がわりにして移動。
食事も取って、さて入院準備と原稿書き、と思ったが、なんだかとても悲しくなってしまい、koronしたくなる。というかしばらくIRCで会話して、バッテリの飛んでいたモバイルギアを再セットアップしてしたあとお布団で koronする。ぐぅ……。
翌日に続く。
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